昔の知り合い
長野県の大学へ行ったので、そのまま15年くらい長野県で働いていました。
医局人事という謎システムに従って長野県内の病院をあっちにいったり、こっちにいったり。
当然行った先の病院に知り合いがいることはまずありません。
たまに大学の同級生がいるくらいですが、知らない土地で働くのも新鮮で気楽なもんでした。
以前の総合病院で一緒に働いた部長先生は「グフフ、任せろ」という感じの親分肌な方でした。
面倒見が良いので病院でお世話になりっぱなしでした。
地域の名士でもあるので小中高校の同級生先輩後輩、子供の同級生の親御さん、
指導するバレーチームの関係者など知り合いのオンパレード。
カンファレンスで入院してくる患者さんの名前をみて「この人は…」というと、
知り合いだったりすることがたびたびありました。
顔の広さも記憶力もスゲーなぁと感心したものです。
富士宮に戻ってくると私も知人と会うのかなぁと思っていましたが、
先日診察にこられた方から「知り合いが高校の部活の先輩だと思うよ。」と言われました。
知り合いの関係者と言われるのは初めて地元に戻ってきたなぁ、
と思う反面ちょっとした恥ずかしさとともに昔が思い出されます。
話にでた先輩はイケメンで飄々とした雰囲気で話しやすい人でした。
そして僕の高校の時部活は山岳部だったのです。
後輩達よ、スゴイぜ
僕の高校の部活は山岳部、そしてその部は当時弱小でした。
弱小山岳部とはどういうことでしょう。
高校山岳部の活動になじみのない方も多いと思いますが、
高校の山岳部は競技登山という形で優劣を競います、県予選を勝ち抜くとインターハイ(IH)もあります。
競い方は4人1組のチームで体力、気象、植生、設営、食事などの各分野で得点を競います。
体力なら規定の重さを背負って規定のコースを歩く、設営は時間内に正確にテントを立てる、
気象は天気図の作成、食事は適格なメニューを時間内に作る、
など各分野で減点方式で採点され合計得点で順位を付けます。
弱小山岳部とはその競技登山でいい成績があげれないということです。
こう書くと情けない感じですが、
体力がない、対策ができないチームでは点数が取れません、絶妙に減点されていきます。
例えば規定の荷物は各自21㎏以上チームだと84k以上だと減点なし、
しかし21㎏は結構重いのです、リュックのショルダーベルトが高校生の肩に食い込んできます。
さらに荷物を背負って山行タイムを競います。
軽量化するればタイムは早くなる可能性もありますが重量で減点されル、
このジレンマで苦しみながら歩きます。
山行中に転んでも減点ですが、転びやすいところに採点官が隠れています。
疲れた中の下りで木の根に滑りました、横をみるとちょうど木の裏の死角に隠れていた採点官と目が合う。
我が校の顧問先生でした。
無表情でペンを走らせている、多分減点のチェック温情なし。
天気図作成や植物の知識などは日ごろから積み重ねてないと歯が立ちません。
なので未熟な高校生は競技登山で体力も精神力も試されます。
そもそも僕の時の山岳部は部員が少なく、実力以前に弱小でした。
部員がいないので2年生の時は大会に参加できませんでした。
大会以外の活動は月に1度近隣で登山したり、夏休みに3泊でアルプスに行ったり、スキー合宿へ行ったり。
夏の合宿は2年生で槍ヶ岳に行ったのは覚えてますが、1年生の時はどこだっけ…北岳かな。
普段は体力づくりのジョギングしたり水泳部と草サッカーしてました。
書いてみるとやっぱりお気軽山岳部ですね。
3年生の時も同級生の部長、副部長が私でしたがメンバーがおらず大会にでれそうになかったですが、
部長と私のクラスメート1人ずつが途中から入部してくれて4人となりIH静岡県予選へ無事参加。
たしか10位でした。
当時の静岡県の強豪は同地区のN高、部員も多くてIHに連続で出るくらいの強豪でした。
大会に出るのがギリギリくらいでしたが、やっぱり結果が出て負けると悔しい。
しかしそもそも体力も意欲も違うのでIHにでていくN高生をどうやっても適わん!と眺めていました。
高校を卒業して20数年、当時の部活仲間とは今でも友達です。
元部長に富士宮に帰ることになったとメールすると、
「山岳部がやばいことになってる」と返信が来ました。
どういうことかとみてみると
高校の山岳部がIHで優勝していたのです!
なんということだ、知らない間にお気軽山岳部が強豪になっている。
女子が以前から強豪になっていたのは知っていましたが男子もインターハイ優勝。
たぶんN高もIH優勝はしてないと思うから、N高越えの強豪!(調べてないので違ったらスイマセン)
20年経つと弱小部活も強豪になるんだなぁ。
優秀すぎるぞ後輩達!会ったことないけど。